インドネシアの名前の由来

さて、すでに半年近く停波したままになっているインドネシアの声。ウワサによれば送信機のトラブルとのことで、短波に出てこないだけで、ストリーミングポッドキャストでの放送は続いている。誠に申し訳ないとは思いつつも、SRI も月に23度、もとい2~3度、ホームページ散策をしながらポッドキャストを聞く程度になっている

で、興味深げな記事を見つけたので、ペタリ するけれども、ぜひインドネシアの声のホームページでご覧いただければと思う

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赤道にまたがり、アジア大陸とオーストラリアの間に位置している東南アジアの国は、インドネシアという名前で知られています。この国は、かつて様々な名称で呼ばれていました。中華民族の記録では、インドネシア群島は、ナン·ハイまたは南の海の島々と名付けられていました。様々なインドの古代の記録は、インドネシア群島を海外領土諸島を意味するDwipantaraと名付けられれていました。一方、アラブ諸国は、Jaza’ir al-Jawiまたはジャワ諸島と呼んでいました。

ヨーロッパ人が、探査と貿易を行ったとき、彼らは、アジアは、アラビア、ペルシャ、インド、中国だけで構成されていると想定していました。彼らにとって、ペルシャと中国の間に広がる地域は、すべてが、インドでした。彼らは、南アジア半島を“Hindia Muka”(間口のインド) と呼び、東南アジア一体は、“Hindia Belakang”(後部のインド)と呼ばれました。一方、インドネシアは、「インド諸島」と呼ばれました。オランダが、到着したとき、オランダ領東インドという正式名称を使用しました。日本の占領政府は、東インドまたはTo-Indoの用語を使用しています。

「インドネシア」という名前は、最初、1850年に「パプア、オーストラリア、マレー、ポリネシアの国々の主要な特性に」というタイトルの記事で、ジョージ·サミュエルウィンザーという英国人によって紹介されました。その記事で、ジョージ·サミュエル氏は、インド諸島やマレー諸島の人々が、独自の名前を持つよ時が来たと主張しました。なぜなら、インドという名前は、適切ではなく、インドの別の呼び名としばしば混同されたからです。ジョージ·サミュエル氏は、IndunesiaまたはMalayunesiaという二つの選択肢を提案しました。ジョージ·サミュエル氏自身は、マレー民族にとって非常に適切なのでMalayunesiaを選びました。

一方、ジェームズ·リチャードソンローガン氏は、インド諸島の民族学と題した記事を書きました。著作(ちょさく)の始めの方で、ローガン氏は、この島のための独特の名前の必要性を表明しました。なぜなら、“Indian Archipelago”(インド諸島)という用語は、長すぎて混乱するからです。ローガン氏は、ジョージ·サミュエル氏によって捨てられたIndunesiaの名を採用しました。その後、Uの文字は、この言葉をより良くするために、Oの文字に交換されました。このようにして、インドネシアという用語が生まれました。それ以来、ローガン氏は、一貫して科学的な文章に「インドネシア」という名前を使用し、徐々に、この用語の使用は、民族学や地理学の分野の学者の中に広がりました。

1884年にベルリン大学の民族学のアドルフ·バスティアン教授は、1864年から1880年までインドネシアの国土をさすらい歩いたときの彼の研究の結果を含む、5冊に及ぶ本を書きました。このバスティアン教授の本こそが、オランダの学者にインドネシアという用語を普及しました。したがって、それは、「インドネシア」の用語は、バスティアン教授によって作成されたという見方が仮定を引き起こされました。

インドネシアという用語は、最初、インドネシア人のSuwardi Suryaningrat氏(KI Hajar Dewantara)によって使用されていました。 1913年にオランダに追放されると、彼は、Indonesische Persbureauという報道局を設立しました。 Indonesisch、(「インドネシア」のオランダ語の発音)という名前はまた、1917年にインドに代る言葉としてCornelis van Vollenhoven博士によって紹介されました。これに対応して、内陸人または先住民は、Indonesierまたは「インドネシア人」に置き換えられました。


なお、Wiki による「インドネシアの歴史」はコチラ

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